2020年5月12日火曜日

1/2 キャプテン・フューチャー コン2010 Captain Future Convention


 前回の生誕祭と同じSFサークル「宇宙ぐん」 による開催で、関係者によるトークショー、展示、上映等、盛りだくさんで、しばし懐かしいキャプテン・フューチャーの世界を堪能してきました。
「キャプテンフューチャーコン2010/星涯(ほしのはて)の会2010」HP
http://www.space-force.org/cfcon2010.htm
http://www.space-force.org/INDEX2.HTM
 ちょうど今年(2010年)、キャプテン・フューチャーが二十歳になり、活躍が始まったかと想像すると、ワクワク何だか楽しくなってきますね。

<ご参照> 1990年 生誕祭(C.F.Con1990)の主催者 宇宙ぐんによるレポート http://www.space-force.org/NEWS/CFCON.HTM 
1990年のCaptain Future生誕祭に行けなかった私は、2010年12月新宿でカーティス・ニュートンの成人を祝い、フューチャーメンの活動を応援(!)する為の「キャプテン・フューチャーコン」が20年振りに...So to celebrate Curtis Newton adult and to support the activities of the future men, Captain Future convention was held in December 2010 by SF fun
説明を追加

(海外のファンも見ているらしいので、拙いながら英訳してみました)。
  This year 2010 is the 20th years old birthday of Curtis Newton on his novels, and It is the initiating activities to protect peace in the universe as future men along with fellow named , living brain “ Simon Wrigh t”, robots ” Grag”, Android “ Otto ”.  So to celebrate Curtis Newton adult and to support the activities of the future men, Captain Future convention was held in December 2010 by SF fun circle “SPACE F/O/R/C/E GENERAL STAFF OFFICE ”in Tokyo, JAPAN. It was full of talk-show parties, exhibits, screenings, etc..
( Actually, another Captain Future conference to celebrate his birthday was hold in 1990 in Tokyo. But unfortunately I missed to join it ! )
  Many famous special guests, for example, Mr. Masaki Tsuji ( scenario writer of Captain Future TV series ), Mr. Takeshi Tamiya ( producer of Captain Future TV series ) , who contributed to make Captain Future TV series in the year 1978 - 1979, joined at this convention.
  Mr. Mitsuaki Ikeda (a member of Science Fiction and Fantasy Writers of Japan ) introduced reports about interviews with Mr. Tomoharu Katsumata ( director of Captain Future TV series ) and Mr. Toshio Mori ( chief animator of Captain Future TV series ).
  Mr. Mizuno Ryotaro( illustrator of Captain Future Book “Hayakawa Bunko” series in 1966 - ), Mr.Kenji Tsuruta ( illustrator of Captain Future Book “Sogen SF Bunko ”series in 2004 - ) also joined.
  Some Scholars ( Mr. Shinichi Kinoshita ,etc ) of Captain Future also joined and reported.
  This convention was a great success.
1990年のCaptain Future生誕祭に行けなかった私は、2010年12月新宿でカーティス・ニュートンの成人を祝い、フューチャーメンの活動を応援(!)する為の「キャプテン・フューチャーコン」が20年振りに...So to celebrate Curtis Newton adult and to support the activities of the future men, Captain Future convention was held in December 2010 by SF fun  The next will be hold in 20 years, the year 2030 !! If you are a fun of Captain Future and missed to join this time, Do not miss next time in 2030.  (チラシから抜粋)
時は未来。ところは宇宙。
光すらゆがむ果てしなき宇宙へ、愛機コメットを駆るこの男、
宇宙最大の科学者であり、冒険家、カーティス・ニュートン。
…だが人は彼をキャプテンフューチャーと呼ぶ。

 こんなナレーションで始まるTVアニメ「キャプテンフューチャー」がNHKでオンエアされたのは、スターウォーズ日本公開の1978年。スペースオペラの元祖とも言われる「キャプテンフューチャー」シリーズは、エドモンド・ハミルトンによって1940年代にアメリカで書かれた小説で、日本では故野田昌宏さんによる翻訳が1966年から出版され、近年の復刊により現在でも読むことができるSF作品です。原作で主人公のキャプテンフューチャーことカーティス・ニュートンが月で生まれたとされる1990年12月には、その誕生を祝して多数のファンが集まり、SFサークル「宇宙ぐん」の主催で「キャプテンフューチャーコン1990」というイベントを開催しました。

 あれから20年、今年2010年は成人となったカーティス・ニュートンがキャプテンフューチャーを名乗り、生きている脳サイモン・ライト、ロボットのグラッグ、アンドロイドのオットーという仲間とともにフューチャーメンとして宇宙の平和を守るために活動を開始する年なのです。そこで宇宙ぐんでは、カーティス・ニュートンの成人を祝い、フューチャーメンの活動を応援するために、関係者によるトークショー、展示、上映等による「キャプテンフューチャーコン2010」を、2010年12月に開催致します。

 また、宇宙ぐんでは「キャプテンフューチャー」や「スターウォーズ」等の翻訳家で、日本有数のスペースオペラ「銀河こ食ぐん団」の作者でもある野田昌宏さんのファングループとして、2008年6月に逝去された野田昌宏さんを偲ぶ「星涯の会」を毎年開催しています。今回の「キャプテンフューチャーコン2010」は、キャプテンフューチャーを日本に紹介し、育ててきた野田昌宏さんを偲ぶ「星涯の会2010」と併せて開催致します。
1990年のCaptain Future生誕祭に行けなかった私は、2010年12月新宿でカーティス・ニュートンの成人を祝い、フューチャーメンの活動を応援(!)する為の「キャプテン・フューチャーコン」が20年振りに...So to celebrate Curtis Newton adult and to support the activities of the future men, Captain Future convention was held in December 2010 by SF fun

場所:新宿歌舞伎町ショースペース「ピンクビッグピッグ」
11:00開場、12:00開演、16:00終演

1990年のCaptain Future生誕祭に行けなかった私は、2010年12月新宿でカーティス・ニュートンの成人を祝い、フューチャーメンの活動を応援(!)する為の「キャプテン・フューチャーコン」が20年振りに...So to celebrate Curtis Newton adult and to support the activities of the future men, Captain Future convention was held in December 2010 by SF fun
受付にて、今イベントのために作られた記念本「キャプテン・フューチャー フューチャーメン手動せよ!」(ハヤカワ文庫装丁の文庫サイズ)と、特製入館証をもらう。  表紙は1966年ハヤカワ文庫版イラストを描いた水野良太郎 氏によるイラスト。  内容は故 野田昌宏 氏のキャプテン・フューチャー(以下CF)に関するエッセイやコラム、雑誌記事などを発表年代順に並べたもの。
 受付にて、今イベントのために作られた記念本「キャプテン・フューチャー フューチャーメン手動せよ!」(ハヤカワ文庫装丁の文庫サイズ)と、特製入館証をもらう。
 表紙は1966年ハヤカワ文庫版イラストを描いた水野良太郎 氏によるイラスト。
 内容は故 野田昌宏 氏のキャプテン・フューチャー(以下CF)に関するエッセイやコラム、雑誌記事などを発表年代順に並べたもの。

『野田昌宏さんは<キャプテン・フューチャー>シリーズの翻訳だけでなく、小説のあとがきや様々な書籍で、作品の紹介や解説記事を多数執筆しています。
 中にはフューチャーメンと一緒に野田さん自身が活躍するといったユニークなものまであるこれらの文章は、ファンにとって非常に興味深いものであり、野田さんの<キャプテン・フューチャー>シリーズへの愛情を感じさせられるものですが、多くの掲載誌が既に絶版となっており、目にすることが難しくなっています。
 本書では、ご遺族のご了承を得て、発表年代順に掲載しました。』
http://www.space-force.org/cfcon2010.htm より)

プログラム1ページ目から抜粋 『ご挨拶   キャプテンフューチャーコン2010/星涯の会2010にご参加下さいましてありがとうございました。  1990年、東京神田でキャプテンフューチャーコンが開かれてから早20年。  クロージングでお約束したとおり、今年2010年カーティス・ニュートンの成人を祝います。  この20年の間、キャプテンフューチャーの出版社が変わったり、日本のキャプテンフューチャーの育ての親である野田宇宙軍大元帥が星に旅立たれたりと、
プログラム1ページ目から抜粋
『ご挨拶 
 キャプテンフューチャーコン2010/星涯の会2010にご参加下さいましてありがとうございました。
 1990年、東京神田でキャプテンフューチャーコンが開かれてから早20年。
 クロージングでお約束したとおり、今年2010年カーティス・ニュートンの成人を祝います。
 この20年の間、キャプテンフューチャーの出版社が変わったり、日本のキャプテンフューチャーの育ての親である野田宇宙ぐん大げんすいが星に旅立たれたりと、いろいろな出来事はありましたが、きっとカーティス君は月の上からそんな状況を眺めながらもすくすくと育ったことでしょう。
 グラッグやオットーもお忍びでまた地球に買い物に来ているかもしれません。

 まだ地球にはいくつもの国があり、月に基地もありませんが、年末のひとときキャプテンフューチャーの世界をお楽しみ頂ければ幸いです。

キャプテンフューチャーコン2010年/星涯の会2010 実行委員会』

・・・なんてCF愛に溢れた方々なんだ!!
1990年のCaptain Future生誕祭に行けなかった私は、2010年12月新宿でカーティス・ニュートンの成人を祝い、フューチャーメンの活動を応援(!)する為の「キャプテン・フューチャーコン」が20年振りに...So to celebrate Curtis Newton adult and to support the activities of the future men, Captain Future convention was held in December 2010 by SF fun
私は90人目との事で、100人以上が集まった様だ。この後、直ぐに満席。

1990年のCaptain Future生誕祭に行けなかった私は、2010年12月新宿でカーティス・ニュートンの成人を祝い、フューチャーメンの活動を応援(!)する為の「キャプテン・フューチャーコン」が20年振りに...So to celebrate Curtis Newton adult and to support the activities of the future men, Captain Future convention was held in December 2010 by SF fun
まずは食べ放題、飲み放題のビュッフェで腹ごしらえ。

カウンターには何とキャプテンフューチャー(以下CF)オリジナルカクテル!
 カウンターには何とキャプテンフューチャー(以下CF)オリジナルカクテル! 
カウンターには何とキャプテンフューチャー(以下CF)オリジナルカクテル! 「透明惑星危機一髪!」事件時にオットーがあまりの美味さに泥酔するまで飲んだ「塩化ラジウム・ハイボール」(その後、サイモンにみっちり絞られた)の“専用グラス”まで。だが、時は既に遅く完売。悔し〜い。「透明惑星危機一髪!」事件時にオットーがあまりの美味さに泥酔するまで飲んだ「塩化ラジウム・ハイボール」(その後、サイモンにみっちり絞られた)の“専用グラス”まで。だが、時は既に遅く完売。悔し〜い。 
「透明惑星危機一髪!」事件時にオットーがあまりの美味さに泥酔するまで飲んだ「塩化ラジウム・ハイボール」(その後、サイモンにみっちり絞られた)の“専用グラス”まで。だが、時は既に遅く完売。悔し〜い。

今回も愛機、宇宙船コメット号ではるばる月のチコ・クレーターから「ロボットのグラッグ」、「生きている脳サイモン・ライト」、「アンドロイドのオットー」がお祝いに駆け付けてくれた!
今回も愛機、宇宙船コメット号ではるばる月のチコ・クレーターから「ロボットのグラッグ」、「生きている脳サイモン・ライト」、「アンドロイドのオットー」がお祝いに駆け付けてくれた!
 前回20年前の生誕祭「キャプテンフューチャーコン1990」と同じく、今回も愛機、宇宙船コメット号ではるばる月のチコ・クレーターから「ロボットのグラッグ」、「生きている脳サイモン・ライト」、「アンドロイドのオットー」がお祝いに駆け付けてくれた!
 一方の「カーティス・ニュートン」と「ジョオン・ランドール」は、確か秋葉原電気街(!)で修理部品を探していて、間に合わずに声だけ出演してくれたという設定だったような・・・。
 フューチャーメンの丁々発止な会話が再現、会場は大いに盛り上がった。 
アニメの脚本を担当された辻 真先 氏と、番組企画者(当時の東映動画のプロデューサー)だった田宮 武 氏は、当時の面白い裏話などを、また、池田 憲章 氏は、この会の為に取材を行ったアニメ版CFのチーフディレクター勝間田 具治 氏、チーフアニメーター(総作画監督)の森 利夫 氏との話し、井上 博明 氏(宇宙軍元参謀総長。この会の企画・構成をご担当。※左から一人目)は、アニメ版CFについて野田 昌宏 氏と話した思い出話などをそれぞれ披露された。
  プログラム2ページ目

アニメの脚本を担当された辻 真先 氏と、番組企画者(当時の東映動画のプロデューサー)だった田宮 武 氏は、当時の面白い裏話などを、また、池田 憲章 氏は、この会の為に取材を行ったアニメ版CFのチーフディレクター勝間田 具治 氏、チーフアニメーター(総作画監督)の森 利夫 氏との話し、井上 博明 氏(宇宙軍元参謀総長。この会の企画・構成をご担当。※左から一人目)は、アニメ版CFについて野田 昌宏 氏と話した思い出話などをそれぞれ披露された。
 第一部「アニメにおけるキャプテンフューチャー」
『1978年にNHKで放送されたこのアニメにより、キャプテンフューチャーはより多くのファンを獲得しました。製作に携わったお二人にお話を伺います。

辻 真先つじ まさき、※写真左から3人目)
  推理冒険作家、本格ミステリ作家クラブ会長、脚本家として日本アニメ界を黎明期から支えた。
 アニメ版キャプテンフューチャーでは脚本を担当、当時の思い出はエッセイ「TVアニメ青春記」に綴られている。(※創元SF文庫版CF 第9巻の解説も執筆)。

田宮 武たみや たけし、※写真左から4人目)
 監督、プロデューサー。東映動画にて演出、監督、企画を経て、角川書店のアニメーション事業を立ち上げた。
 アニメ版キャプテンフューチャーでは企画を勤めた。

司会:池田 憲章いけだ けんしょう、※写真左から2人目)
 フリーライター、編集者、プロデューサー。日本推理作家協会会員、日本SF作家クラブ会員。
 得意とする執筆分野は主に特撮とアニメ。このコンベンションの為にアニメ版キャプテンフューチャーのチーフディレクター勝間田氏、チーフアニメーター森氏に取材を行った。』(以上プログラムから抜粋、但し※印は私が補記)

 アニメの脚本を担当された辻 真先と、番組企画者(当時の東映動画のプロデューサー)だった田宮 武 は、当時の面白い裏話などを、また、池田 憲章 は、この会の為に取材を行ったアニメ版CFのチーフディレクター勝間田 具治 チーフアニメーター(総作画監督)の森 利夫 との話し、井上 博明 氏宇宙軍元参謀総長。この会の企画・構成をご担当。※左から一人目)は、アニメ版CFについて野田 昌宏と話した思い出話などをそれぞれ披露された。

・海外、特にドイツ、フランスでは今でも非常に人気があり、今でも凝ったHPを作る人がいる。ドイツからはヘビーマニアから4、5年前、大量の質問状があり、それに答えたところ、その人がCFをイメージしてシンセサイザーで作曲したという曲を送ってくれた(この後、その曲が会場で披露された。映像08:17~)。

アニメの脚本を担当された辻 真先 氏と、番組企画者(当時の東映動画のプロデューサー)だった田宮 武 氏は、当時の面白い裏話などを、また、池田 憲章 氏は、この会の為に取材を行ったアニメ版CFのチーフディレクター勝間田 具治 氏、チーフアニメーター(総作画監督)の森 利夫 氏との話し、井上 博明 氏(宇宙軍元参謀総長。この会の企画・構成をご担当。※左から一人目)は、アニメ版CFについて野田 昌宏 氏と話した思い出話などをそれぞれ披露された。
 ・平均視聴率8%、最高12%、最低3.9%で、裏番組には人気番組も多い中、なかなか健闘した数字だった。

・NHKからは せん前の科学で書かれたスペースオペラなのに、現代の科学で検証しながら作れとの方針があり、辛かった。そうするとシナリオがどんどん面白くなくなってしまった。5、6話それで書いたら、さすがに元に戻しましょうとの話があり、分かってくれたようだった。

・宇宙へ乗り出して行く船人の孤独の感情をもう少し盛り上げたかった。

・キャラクターの色指定について:民放番組だと玩具会社とタイアップして後日キャラクターグッズを売り出すため、予め色指定がされているが、NHKなのでその恐れもなく、本来の色指定が出来た。

・CFの髪型は原作の「赤い縮れ毛」だとイメージが沸かないのでロバート・レッドフォードをイメージした。服も平面だと飽きがくるので、立体的になるようにした。グラッグは線が多すぎると、後でアニメーターには大変だったらしい。サイモン・ライトははっきりしたキャラなので一番書き易かった。ジョオン・ランドールは唯一の女性キャラだったので小説より出番を多くし、実際に人気もあった。

・4話で一回の話しが終わるパターンなので、他のアニメのように同じ設定を使い回すことができず大変だった。

・小説の面白さがあったので現場の人も色々なアレンジが出来た。

・例えば小説の「宇宙帝王」等のイメージは思いつけないので、皆手探りでイメージを掴むのに苦労した。

 Mr. Masaki Tsuji ( scenario writer of Captain Future TV series ), Mr. Takeshi Tamiya ( producer of Captain Future TV series ) , who contributed to make Captain Future TV series in the year 1978 - 1979, joined at this convention.
Mr. Masaki Tsuji 辻真先 氏HP 
http://2323.la.coocan.jp/index.htm 
 The anime figure of Curtis Newton was created imaging an American actor Robert Redford

アニメの脚本を担当された辻 真先 氏と、番組企画者(当時の東映動画のプロデューサー)だった田宮 武 氏は、当時の面白い裏話などを、また、池田 憲章 氏は、この会の為に取材を行ったアニメ版CFのチーフディレクター勝間田 具治 氏、チーフアニメーター(総作画監督)の森 利夫 氏との話し、井上 博明 氏(宇宙軍元参謀総長。この会の企画・構成をご担当。※左から一人目)は、アニメ版CFについて野田 昌宏 氏と話した思い出話などをそれぞれ披露された。
 ・主題歌について:当時のSFは勇ましい歌が主流だったが、絶対にあり得ない形でやりたいと思い、音楽はルパン三世の大野雄二 氏、作詞は山川啓介 氏に、SFを意識しないで作って欲しいと頼んだ。
 オープニングは最初はタケカワユキヒデ氏を予定していたが、先方事務所の契約不備がありヒデ夕樹(ひでゆうき)氏(日立の「この木なんの木気になる木」の人)に頼んだ。ヒデ夕樹 氏はあの「ウ〜」のアドリブを入れたら、大野 氏はそんなところに「ウ〜」など入れるなと怒ったとのこと(笑)。
 ワンクール後にようやくタケカワ 氏でできるようになり、タケカワ 氏に戻したらファンから抗議の手紙が殺到し、田宮 氏は全員にこういう事情があったと手紙を書いた。
第一部の一部分(イヤホンするともう少し聞き取りやすくなります)CF song made by German fans is played.

キャプテン・フューチャー1978 OP Full「夢の船乗り」
作詩/山川啓介。作・編曲/大野雄二、歌/ヒデ 夕樹、ナレーター/神 太郎
(私も、当時は分からなかったが、オッサンになってみると、「子供の頃は空を飛べたよ」の意味がわかった)。
キャプテン・フューチャー「おいらは寂しいスペースマン」
ハヤカワ文庫版(1966年~)のCFの表紙・口絵・挿絵のイラストを描いた水野 良太郎 氏、創元SF文庫版(2004年~)の表紙・扉・特典のイラストを描いた鶴田 謙二 氏、ハヤカワ文庫当時の担当者森 優 氏(写真左から3人目)、創元SF文庫版の担当者小浜 徹也 氏(写真無し)を交えたトーク。作詩/野田昌宏(あの、大げんすい!)、作・編曲/大野雄二、歌/ヒデ 夕樹
第二部「イラストで語るキャプテンフューチャー」
 
『キャプテンフューチャーを語るとき、イラストの魅力を外すわけにはいきません。
 日本でキャプテンフューチャーのイラストを手がけられたお二人に、キャプテンフューチャーの魅力を語っていただきます。

水野 良太郎みずの りょうたろう、※写真左から2人目)
 漫画家、イラストレーター。広瀬正氏、伊藤典夫氏らと創作集団「パロディ・ギャング」を結成。ベストセラーの「頭の体操」のイラストやブラックユーモア漫画を手がけた。近年では鉄道模型に関する著作も多数出版。
 キャプテンフューチャーシリーズの初代イラストレーターで現在でも多くのファンから支持をされている。

鶴田 謙二つるた けんじ、※写真左から1人目)
 漫画家、イラストレーター。代表としてとしては(※原文ママ)「SF名物」やアニメ化もされた「Spirit of Wonder」など。
 多くのSF小説のイラストを担当し、星雲賞アート部門も二度受賞している。創元SF文庫版のキャプテンフューチャーシリーズのイラストを手がけ、新しいキャプテンフューチャーの世界を作り上げた。

司会:園山 靖輔そのやま やすすけ、※写真無し)
 宇宙ぐん前さんぼう総長、今回の記念本「フューチャーメン出動せよ!」の編集を担当。宇宙ぐんでも屈指のメカニック。密かに月に渡り、グラッグの作製を手伝ったという噂も有り。』(以上プログラムから抜粋)

 ハヤカワ文庫版(1966年~)のCFの表紙・口絵・挿絵のイラストを描いた水野 良太郎 創元SF文庫版(2004年~)の表紙・扉・特典のイラストを描いた鶴田 謙二 ハヤカワ文庫当時の担当者森 優 (写真左から3人目)創元SF文庫版の担当者小浜 徹也 (写真無し)を交えたトーク。
 水野 氏は闘病中との事だったが、ユーモラスに何度も会場に歓声を沸かせながら元気に話をされた。

第二部の一部(イヤホンするともう少し聞き取りやすくなります)

・(園山 氏)(映像00:30~)最初のCFコンである1990年 生誕祭開催のきっかけ:当時、漫画「宇宙英雄物語」を描かれていた伊東岳彦 氏が、宇宙ぐんの井上博明 氏に「今年、CFが生まれる年ですよね、何かやるんですよね、何かやってくれるんですよね」という勢いのある話があった事がきっかけ。(※詳細は http://www.space-force.org/NEWS/CFCON.HTM この時もそうそうたるゲスト、水野良太郎 氏、野田昌宏 氏、伊東岳彦 氏、麻宮騎亜(別名:菊池道隆、漫画家)、永瀬唯 氏(SF史家)、青井邦夫 氏(イラストレーター)、とまとあき 氏等が集まり、楽しい企画も盛り沢山だったよう)。

・(鶴田 氏)(映像22:00~)一番迷ったデザインはグラッグ。水野さんのデザインからどうしても抜け切れなくて苦労した。グラッグはもう相当にデザインを描いた。飲み屋に行っては箸袋に描く位に。
・(水野 氏)僕もグラッグはどう描こうか十分考えたが、僕がこの仕事を引き受けた時にTVで「てなもんや三度笠」をやっていて、これが刷り込まれていたと思う。

・CFへの想い
 ・(水野 氏)僕の人生はCFと共にあった。我が青春そのもの。今回の記念本の表紙を描いた。
 ・(鶴田 氏)(映像29:15~)自分も早川版CFの大ファンでとても遣り甲斐があったが、自分の頭の中のファンの部分が自分の絵を拒否しているという状態で、読む人もきっとそうなんだろうなと考えながら描いたので、非常にツライ仕事でもあった。

ハヤカワ文庫版(1966年~)のCFの表紙・口絵・挿絵のイラストを描いた水野 良太郎 氏、創元SF文庫版(2004年~)の表紙・扉・特典のイラストを描いた鶴田 謙二 氏、ハヤカワ文庫当時の担当者森 優 氏(写真左から3人目)、創元SF文庫版の担当者小浜 徹也 氏(写真無し)を交えたトーク。
・(水野 氏)(MD録音)ハヤカワ版のこのイラスト(この写真)はわずか6、7分で描いた(会場どよめく)。他の中絵も10分程度。表紙は30分〜1時間位。当時は早描きで下書きもしなかった。漫画家は早く描かないといけないと思い、砂時計を置いてやっていた。イラストはまずカメラで撮り、亜鉛鉄板(金属のハンコ)を作って印刷していた。

・(水野 氏)(映像12:40)僕は誤解していた。昔は映画館で本編前のニュース映像で、清水 崑さん(※黄桜酒造のカッパの絵の人)が政治漫画を描く時、コマ撮りで撮っているから凄く早い、吉田 茂の顔なんか一瞬で、プロの漫画家というのは凄いんだなあと、僕も漫画家になるならあれ位早く描かなければならないとマジで信じてしまった(会場、大爆笑)。
 武蔵野美術大学入試の時、あそこは三日間かけて課題をするが、僕は初日午前中で仕上げてしまった。試験官はそれを見て、君はもう帰っていいよ(会場、再び大爆笑)。残った時間でスケッチや漫画を描き、御茶ノ水等の出版社や漫画社へ持ち込んでいた。だから君、早描きはいいものだよ(鶴田氏の肩にポンと手を置く。会場、大爆笑)。

2008年6月7日付 朝日新聞の野田昌宏さんの訃報
・(小浜 氏)(映像24:25)この絵が(上の表紙裏)が出来て、本カバーが刷られた時に野田さんが亡くなった。葬式にはこの絵を額装して持参、鶴田さんは「結構、自信作だったので野田さんにお見せして、ギャーと言って欲しかった」と。(写真右は、2008年6月7日付 朝日新聞の野田昌宏さんの訃報)。

・(水野 氏)(映像03:40~)ハヤカワでCFを始めたいきさつ:当時は漫画ブームで、僕は色々なスタイルで漫画を描いていたが、アメリカンタッチの、筆で描いたタッチのスタイルをやりたい、日本に紹介し定着させたい、と思っていたところ、丁度、ハヤカワからアメコミ風でCFのイラストをお願いしたいとの話しが来て、とても嬉しかった。
 (MD録音)全然つまらない場面でイラストを描くよう指定されていて、がっかりした経験もあった。CFは宇宙活劇で他にいくらでも面白い場面は沢山あるのに。
 しかも原稿料は高くなく、あまりやる気は無くなってきていたところ、結構シリーズが売れているとの事だった。しかしアメコミ風のイラストをこのCFで続けさせてもらっている事はとても勉強になり、有り難いと思っていた。
 今日のこの会の盛況を見て、やはりこの仕事をして本当に良かったと思う。
 (映像08:40)(話は戻るが)絵になる場面が沢山あるのに、それを絵にできなかったのは大変悔しかった。そこで野田さんと画集の素晴らしい豪華本を出そうと約束していたが、それが実現できなかった事が残念。だが、新しい方がお描きになり画集(※「FUTURE」)も出されるという事で、是非そちらで頑張って頂きたい。色々なスタイルがあっていいと思う。時代と共に進化していく新しいスーパーヒーローが出て来ていい。一つだけに決めないで、色々なヒーローがあった方がいい。だから鶴田さん、頑張って下さい!
・(森 氏)私は最初から原稿料が安いですと言った覚えは無いが、後で支払われて何でこんなに安いんだとビックリされたんだと思いますが、まず描かせてしまえばという思いがあった(会場、大爆笑)。
・(小浜 氏)僕は鶴田さんには言いましたよね?原稿料の事。言ってませんでしたっけ?(会場、再び大爆笑)

・(水野 氏)(映像05:15~)僕は今はパーキンソン病を患っています。今や国民病でどんどん増えており、そういう人達を励ます為にも、また元気を共有するためにも、スーパーマンとパーキンソンを掛けて、大暴れする練馬のスーパーキンソンというギャグ漫画を売込みたいと思っているが(会場から大歓声と大拍手)、出版社からは世間では笑い事にならないと断られている。しかし人生は一度きりで死ぬまで生きるしかない。しぬまで面白く愉快に、しかも元気で生きていきたい。今日はこの会場に来られるか分からなかったが、こうして皆さんとお会いする事が出来、胸に熱いものを感じています。今改めて、原作者ハミルトンと宇宙軍に勇気をもらっています。宇宙の一員として、これからも元気に宇宙の悪と戦って(拳を突き上げて)練馬のスーパーキンソン頑張るぞ!という思いです。皆さん、宜しくお願いします(会場から大歓声と大拍手)。
 Mr. Mizuno Ryotaro( illustrator of Captain Future Book “Hayakawa Bunko” series in 1966 - ), Mr.Kenji Tsuruta ( illustrator of Captain Future Book “Sogen SF Bunko ”series in 2004 - ) also joined.